形意名手シリーズ
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【形意名手】単刀李と恐れられた達人『李存義』
李存義、字を忠元、生没年は約1847年―1921年で清代の道光帝の時代から民国10年にかけて活躍した人物です。河北省深州小菅村の生まれで、最初は劉奇蘭に拝師し、又董海川から八卦掌を習い、郭雲深からより事細かに指導を受け…
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【形意名手】日本に形意を伝搬させた達人『郝恩光』
郝恩光、字を海朋、生没年は約1871年―約1923年とされ、河北省任丘で生まれました。幼い頃から武術を練習し李存義の入室弟子となりました。彼はかつて関東で鏢曲を経営しており、困っている人を助ける寛大で義理堅い人物でした。…
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【形意名手】鉄脚羅漢『尚云祥』
尚云祥、字を弄誕、生没年は約1863年―約1937年とされ、山東省楽陵で生まれました。記録によると最初は功力拳を修めましたが、後に形意拳の李志和に敗れ、李存義を師として仰ぎ形意拳を学び、その後に郭雲深から崩拳の極意を授…
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【形意名手】天下一の使い手と呼ばれた達人『孫禄堂』
孫禄堂、字を福全、また人々からは涵齋と呼ばれており生没年は約1860年―1933年、清代の咸豊帝の時代から中華民国にかけて活躍しました。河北省完県東任家瞳村の人で、幼少の頃は李奎垣を師事し同時に形意拳も学び、その後李の師…
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【形意名手】大胆不敵『張占魁』
張占魁、字を兆東、生没年は約1859年―約1940年で清代の道光帝の時代から中華民国の時代にかけて活躍した人物です。河北省河間県后鴻雁村の人で、最初は少林秘踪拳を学びましたが後に劉奇蘭に拝師し形意拳を学び、また董海川から…
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【形意名手】天下を打つは半歩崩拳『郭雲深』
郭雲深、字を峪生、生没年は約1820年―約1901年とされ、清代の道光帝から光緒帝の時代にかけて活躍した人物です。河北省深県馬庄で生まれ、体格は逞しく性格は剛毅、義侠心があり幼い頃より武芸に親しんでいました。同治帝の最初…
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【形意名手】理論を完成させし達人『宋世栄』
宋世栄、字を約齋、鐿泉あるいは鏡家と呼ばれた。生没年は約1849年―1927年とされ、宛平県(現在の北京市)に生まれ、後に父の宋永禄とともに山西省の太谷に移り住み、時計修理店を営んでいました。幼少の頃の宋は知的で教養があ…
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【形意名手】八大弟子の長兄『車毅斎』
車永宏、字を毅斎、生没年は1833年―1914年とされ清代の道光帝の時代から民国の初期にかけて活躍しました。山西省太谷県桃園堡で生まれ後に賈家堡に移り住みましたが、幼少の頃は家が貧しかったために学校に通えず、裕福な家の車…
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【形意名手】形意の祖『李洛能』
李飛羽、字を洛能、また能然、老能、老農とも呼ばれていました。生没年は約1808年―1890年とされ、清朝の嘉慶帝の時代から、光緒帝の時代に生きた人物。河北深県窦王庄の人で、幼少の頃から武術を練習し、山西祁県に戴氏が心意六…
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【形意名手】河南の名手『馬学礼』
馬学礼、生没年は約1715年から1790年、康熙帝の時代から乾隆帝の時代にかけて生きた人物。回族で河南省洛陽馬坡村の人でした。 古い系譜には馬学礼が姫際可から伝えられたという説がありますが、二人の生没年から考えるに、姫際…